継松寺(岡寺観音)概要: 継松寺の創建は天平15年(743)、聖武天皇の勅願により行基菩薩によって開かれたのが始まりとされます。聖武天皇が42歳の厄年に当寺の本尊を祈願をし無事に過ごされた事から日本初の厄除け観音として広く知られるようになりました。
その後、洪水により堂宇が大破し本尊も流され衰退しましたが、弁財天の化身が二見の住民三津五郎右衛門正信の霊夢に立ち、本尊の在り処を告げました。正信は見事本尊を見つけ出すと継松法師として出家し継松寺を再建しています。
当初は石津町にありましたが慶長17年(1612)松阪藩主古田重治の命で現在地に移りました。
継松寺書院は寛永6年(1629)に建てられたもので入母屋、本瓦葺、桁行9間、梁間6間、鐘楼は寛永16年(1639)に建てられたもので切妻、本瓦葺、袴付、書院、鐘楼共に松阪市指定文化財に指定されています。
寺宝が多く室町時代に製作された絹本著色普賢延命菩薩像と江戸時代に製作された紙本著色雪山童子図(曽我蕭白筆)、江戸時代に製作された岡寺版集帖(4編・37帖)、江戸時代に製作された岡寺版集帖版木(158枚)、室町時代に製作された両界曼荼羅が三重県指定文化財に江戸時代に製作された銅鐘(寛永16年)・銅燈籠(寛永16年)・銅製香炉(安永6年)が松阪市指定文化財にそれぞれ指定されています。
三重四国八十八ヶ所81番・伊勢西国三十三所観音霊場8番・東海三十六不動尊霊場26番・東海新西国霊場20番。
継松寺:上空画像
八脚門を簡単に説明した動画
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