御城番屋敷(松阪市)概要: 松阪城の搦手に続く登城口(東の三之丸)に位置し、文久3年(1863)に松坂御城番職に就いた紀州藩士20人の為に建てられたものです。安政2年(1855)紀州藩徳川家の古参藩士(横須賀組22家)が突然、田辺領安藤家(3万8千石、石高的には藩同等でしたが安藤家は紀州藩の執政も兼ねていた為、幕府からは正式な藩としては認められていなかった。)扱いを命じられた為、不服として浪人となりました(田辺与力騒動)。
その後、紀州藩復帰運動を展開し、長保寺(紀州徳川家菩提寺)住職の尽力もあり40石取りの松坂御城番職に取り立てられました。
建物は木造平屋建、入母屋、桟瓦葺で東棟の桁行が90.9m、西棟の桁行が83.6mで1戸は正面5間、奥行5間、背後に角屋と呼ばれる部屋が設けられています。
長屋ながら式台付きの玄関や前庭、生垣などが設けられ武家住宅としての格式を備えたもので、規模や保存状態の良さから「類例の少ない近世武士の長屋建築」との評価を得ています。
明治維新以後は御城番屋敷に住む士族を中心に合資会社苗秀社を設立、建物の維持管理が行われ明治35年の松阪工業高校創立時に西棟の1戸分が切り詰められたものの、大変貴重なものとして東西棟共に平成16年に国指定重要文化財に指定されています。
御城番屋敷:上空画像
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