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津城
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歴史・観光・見所
津城概要: 津城の築城は永禄年間(1558〜69)、細野藤敦によって築かれたのが始まりとされます。当初は安濃津城と称し安濃川河口の三角州にある小規模の城でしたが永禄11年(1568)織田信長の伊勢侵攻により細野家の主家である長野具藤が破れると長野家に信長の弟である信包を養子する事で和睦が成立し、翌年信包が安濃津城の城主となります。信包は城を大改修し城域を拡張すると共に天正5年(1577)には5重の天守閣を造営し「津侍従」15万石の大名として確立します。文禄3年(1568)、信包が豊臣秀吉の怒りをかい丹波国柏原に移封になると富田一白が城主となり慶長4年(1599)に嫡子信高が跡を継ぎます。慶長5年(1600)の関が原の戦いの際、信高が東軍に付き会津侵攻に従軍していると、間隙を突いて西軍が伊勢に侵攻、信高も急いで津城に引き返し籠城戦が展開されました。西軍は毛利秀元を大将とする3万余の大軍勢に対し津城の城兵は民兵を合わせても1千7百余名だったとされ、激戦虚しく数日後に落城しています。信高は剃髪し高野山に入りましたが、本戦である関が原の戦いで東軍が勝利すると東軍の一員として許され本領安堵の他2万石が加増されました。慶長13年(1608)、信高が宇和島藩に移封になると今治藩から藤堂高虎が22万石で入封、高虎は津城の大改修し城下町や領内の整備に尽力しています。藤堂家は加増を重ね32万3千石(最終的には27万1千石)の大大名となり12代に渡り津藩主を世襲して明治維新を迎えています。明治4年(1871)に廃藩置県が発令されると廃城となり、津城にあった多くの施設は破却、払い下げとなり多くの掘も埋め戻されました。現在は本丸周辺の掘や石垣が残り三重県指定史跡に指定されています。
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