寒松院(津市)概要: 寒松院の創建は不詳ですが当初は昌泉院と称し、津藩2代藩主藤堂高次が先代で父親である藤堂高虎を祀るようになると高虎の戒名(寒松院殿道賢高山権大僧都)から寒松院と称するようになりました。以来、津藩歴代藩主と支藩である久居藩の歴代藩主の菩提寺として庇護され堂宇の造営や改修は藩費で賄えられ、寺領400石が安堵されました。寺運も隆盛し最盛期には末寺18ヶ寺を擁する大寺として領内の寺院の中でも大きな影響力を持ちましたが。明治時代に入り津藩が廃藩になると次第に衰微し昭和20年の太平洋戦争の戦禍により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失します。その後、本堂が移築されるなど再建されますが往時には至らず、境内も大きく縮小しています。現在でも境内には歴代藤堂家の墓碑が26基建ち並び「藤堂家墓地」として昭和50年に津市指定史跡に指定されています。
|