観音寺(津市)概要: 観音寺の創建は和銅2年(709)、阿漕ヶ浦の漁師の網により観音像が出現、安置したのが始まりと伝えられています。以来、朝廷や為政者、歴代領主から崇敬庇護され永享2年(1430)には室町6代将軍足利義教が三重塔と恵音院を造営し寺領を寄進しています。当初は柳山付近にありましたが明応7年(1498)、大地震により堂宇が大破し現在地に境内を移しています。天正8年(1580)、津城の城主となった織田信包は観音寺を再興、さらに当時の住職である法印長堯は豊臣秀吉の書家の師でもあり秀吉の祈願寺として庇護され寺領100石が寄進されています。慶長5年(1600)の関が原の戦いでは津城が戦場となりその兵火により多くの堂宇が焼失し一時衰退します。慶長13年(1608)、藤堂高虎が津藩主になると、当寺の境内が津城から見て北東にあたる為、鬼門鎮護の寺院として庇護し堂宇の造営や社領の寄進が随時されました。又、歴代徳川将軍家も朱印地100石を安堵、さらに歴代天皇の勅願の綸旨を賜わっていました。江戸時代後期になると民衆にも伊勢参りが浸透し、津城下が伊勢神宮への参拝路にもあたる為、多くの参拝者が観音寺にも訪れるようになり「津に参らねば片参り」、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」などと唄われました。太平洋戦争の戦禍により多くの堂宇が焼失しましたが、現在も数多くの文化財を所有しています。
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