敢国神社(伊賀市)概要: 敢国神社は三重県伊賀市一之宮に鎮座している神社です。敢国神社の創建は斉明天皇4年(658)に勧請されたのが始まりとされます。
祭神の大彦命(孝元天皇の皇子・四道将軍)は伊賀国の開発神で、近くには大彦命の墳墓と伝わる三重県最大級の御墓山古墳があり絶大な権力を持っていたと思われます。大彦命の後裔は伊賀の地に土着し阿拝氏を名乗るようになり、祖神である大彦命を勧請したと思われます。
当初は古代から信仰の対象になった南宮山山頂付近に鎮座していましたが後に現在地に遷座し、山頂には美濃国一宮である南宮大社(岐阜県垂井町)の分霊(金山媛命)を勧請されました。
貞元2年(977)に山頂に鎮座していた金山媛命を敢国神社に勧請、遷座しました。古くから格式の高い神社として知られ、平安時代に編纂された三代実録によると貞観9年に従五位上、貞観15年に正五位下に列した事が記載されています。
延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では大社として記載され、伊賀国で記載された式内社の中で最も格式が高かった事から伊賀国一之宮とされました。
歴代領主や朝廷などに崇敬庇護され社運も隆盛し社殿の造営や社領の寄進が行われ最盛期には12坊を擁しましたが天正9年(1581)織田勢の伊賀侵攻(伊賀の乱)の兵火により多くの社殿、社宝、記録などが焼失し衰退しました。文禄2年(1593)、小天狗清蔵(山伏)によって社殿が再建され、慶長3年(1598)に湯釜を寄進しています。
江戸時代に入ると境内が上野城から北東にあたる為、城の鬼門鎮護として歴代津藩主藤堂家が庇護し、慶長14年(1609)には本殿が再興され、慶長17年(1612)には社領107石余りを寄進しています。
古くから神仏習合し境内には鐘楼などが建立されていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離により仏教色が廃され、明治4年(1871)に国幣中社に列しました。例祭に奉納される獅子神楽は古式を伝える神事として貴重な事から昭和29年(1954)に三重県指定無形文化財に指定されています。祭神:大彦命。
敢国神社:上空画像
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