愛宕神社(伊賀市)概要: 愛宕神社は三重県伊賀市上野愛宕町に鎮座している神社です。詳細は不詳ですが、伝承によると神代の時代、朝日岳の山頂付近に火産霊大神の磐境があり、市杵島姫命、猿田彦命、櫛御気野命、廣国神押武金日命の分霊を勧請、祭ったのが始まりとされ当初は阿多古大神と称していたと伝えられています。
弘安2年(1556)に改めて葦神社(三重県伊賀市大山田鎮座)の神官である稲上神部大夫が大黒天、摩理支天、三宝荒神、弁財天を勧請しています。天正9年(1581)に兵火で社殿や社宝、記録などが焼失し衰退しましたが、小天狗清蔵坊(修験僧)が再興しています。
慶長16年(1611)、徳川家康の命により藤堂高虎が上野城を築いた際、当地が城から見て西南に位置していた事から巽鎮守として城主から信仰の対象となり社領10石が寄進され、元和2年(1616)には当時の藩主藤堂高虎により社殿が造営されています。
その後も歴代津藩主が庇護し、毎年初穂米として32石の供饌が行われました。古くから神仏習合し別当寺院として大福寺が祭祀を司っていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により大福寺は廃寺に追い込まれ、当社は村社に列し、神饌幣帛供進社に指定されています。
現在の愛宕神社本殿は寛文12年(1672)に再建されたもので、入母屋、銅板葺、桁行5間、梁間2間、3間唐破風向拝付、外壁は極彩色に彩られ、細部に精緻な彫刻が施されています。愛宕神社本殿は江戸時代初期に建てられた大型神社本殿建築の遺構として貴重なことから昭和37年(1962)に三重県指定文化財に指定されています。又、明治時代以前は神仏習合し別当寺院として大福寺が祭祀を担いました。祭神:火産霊神。
愛宕神社:上空画像
|