上野城(伊賀市)概要: 伊賀上野城の城域は平安時代に平清盛によって創建された平楽寺の境内があり室町時代以降、その一角に伊賀国の守護所が設けられ守護である仁木氏の居館でした。天正9年(1581)、織田勢による伊賀侵攻(伊賀の乱)の兵火により平楽寺と守護所は焼失し織田勢のものとなりました。新たに領主となった織田信雄は家臣である滝川雄利を伊賀国守護に命じ、平楽寺跡に居館を設けさせ当地の要とさせました。
天正12年(1584)、羽柴秀吉に従った脇坂安治が当地に配されますが、天正13年(1585)に摂津に移封となり、代わって筒井定次が5万石で大和郡山城から入封し近代的な城郭として大改修します。
当地は大坂にも通じる交通の要衝として重要視され、本丸の東側には3層の天守閣が設けられ文禄年間(1592〜1596年)に一応の完成を得ています。
慶長13年(1608)、豊臣方と徳川方の対立が顕著になってくると、藤堂高虎が22万石で入封し仮想敵である豊臣家に対して彦根城(滋賀県彦根市)と共に軍事的拠点として上野城が大改修されます。
築城の名手と云われた高虎は全国の城をくまなく調べてその粋をこの上野城に注いだとされ本丸には五層の天守閣(完成前に倒壊)が設けられ城内には10棟の櫓が配され、全国一高いと言われる石垣を周囲に廻しました。
大坂の陣後、一国一城令が発令されましたが、津藩として本城を津城、伊賀国の経営として上野城が認められ代々藤堂家一族が城代として派遣されました。
現在でも高石垣や水掘などが良好に残っており、大変貴重な事から昭和42年(1967)に国指定史跡に指定され、平成18年(2006)に日本100名城に選定されています。
伊賀上野城:上空画像
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