新大仏寺(伊賀市)概要: 五宝山新大仏寺は三重県伊賀市富永に境内を構えている真言宗智山派の寺院です。新大仏寺の創建は建長2年(1202)、後鳥羽法皇の勅願により源頼朝が重源を招いて開いたのが始まりとされます。
重源は東大寺の高僧で大仏殿や大仏を再興した人物として知られ、新大仏寺は全国7か所に設けた東大寺別所(高野新別所、渡辺別所、播磨別所、備中別所、周防波阿弥陀仏(周防別所)、伊賀別所)の1つ伊賀別所とも呼ばれました。
天皇の勅願寺、東大寺の別所として寺運も隆盛しますが、室町時代には衰退、江戸時代に入ると津藩藩主藤堂家から庇護され享保年間(1716〜1736年)に陶螢上人を招いて再興しています。
現在の大仏殿は江戸時代中期に再興された当時の建物で木造平屋建て、桁行6間半、梁間8間半、入母屋、銅板葺、妻入、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、大仏様式、正面には唐破風を設けて重厚な印象を受けます。
元禄元年(1688)には松尾芭蕉も訪れており、当時の新大仏寺の様子を「笈の小文」や「伊賀新大仏之記」で記録し、「丈六に 陽炎高し 石の上」の句を詠んでいます。
新大仏寺本堂は寛永9年(1632)に上野城の城主藤堂次が造営したもので(新大仏寺で雨乞いの祈祷が行われ、念願成就すると仏意に感謝し寄進したと伝えられています)、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行4間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、内部には阿弥陀如来像が安置されています。山号:五宝山。宗派:真言宗智山派。本尊:盧舎那仏。
新大仏寺の文化財
・ 絹本著色興正菩薩像−鎌倉時代−国指定重要文化財
・ 木造俊乗上人坐像−鎌倉時代−国指定重要文化財
・ 木造僧形坐像−鎌倉時代−国指定重要文化財
・ 板彫五輪塔−鎌倉時代−国指定重要文化財
・ 木造如来坐像(附:石造基壇)-鎌倉時代(体部:江戸時代)-国指定重要文化財
・ 水晶舎利塔−鎌倉時代初期−三重県指定文化財
・ 大仏殿−江戸時代中期−三重県指定文化財
新大仏寺:上空画像
八脚門を簡単に説明した動画
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