菅原神社(上野天神宮)概要: 菅原神社の創建は不詳ですが平安時代末期に上野山(現在の伊賀上野城)にあった平楽寺の鎮守社として勧請されたそうです。
天正9年(1581)、新たに領主となった筒井定次が上野城の城下町を新たに町割した際、この地に遷座し上野城の鎮守社として崇敬庇護しました。
江戸時代に入ると津藩に入封した藤堂高虎が庇護し、旧上野町6千戸の産土神として町民達からも信仰されるようになり、例祭である「上野天神祭」は町内毎に絢爛豪華な山車(だんじり)と、百数十体の鬼が練り歩く行事として近隣から多くの人達が集まり社運も隆盛しました。
別当寺院だった薬師寺は天正年間(1573〜1593年)まで伊賀上野城の城内に境内を構えていましたが、藤堂高虎が城の大改修した際に、上野天神宮(菅原神社)の別当寺院に定められ境内に移ったとされます。
松尾芭蕉の門人達は度々薬師寺の堂内で句会を開き、芭蕉も伊賀に戻った際には参加したとされ、その縁から芭蕉が寛文12年(1672)に始めて編纂したとい「貝おほい」を奉納し将来を祈願しています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、社号を菅原神社に改め、県社に列しました。祭神:菅原道真。
現在の鐘楼は江戸時代前期(1600年代後期)に建てられたもので切妻、本瓦葺、桁行1間、梁間1間。神門(神社山門)は江戸時代中期(1700年代前期)に建てられたもので、入母屋、桟瓦葺、三間一戸、楼門形式、下層部両側には随神が安置。鐘楼、神門共に神仏習合の名残を残す貴重なものとして平成5年(1993)に三重県指定文化財に指定されています。
10月に奉納されるだんじり天神祭は江戸時代前期、当地方で疫病が流行り、病気平癒と疫病退散を祈願して奉納されたのが始まりとされるもので、古式を継承する大変貴重な神事として貴重な事から平成14年(2002)に国指定無形民俗文化財に、楼車幕・楼車金具は三重県指定文化財に、供奉面と能面の13面は伊賀市指定文化財にそれぞれ指定されています。
社宝も多く三十六歌仙(36面)と算額(1面)が平成13年(2001)に伊賀市指定有形民俗文化財に指定されています。境内に生えている二度芽ケヤキは1年の間に春と夏の2度芽吹くとされ樹高15m、幹周5.11m、昭和54年(1979)に伊賀市指定天然記念物にしています。又、菅原神社境内一帯は「貝おほい奉納の杜」として昭和47年(1972)に伊賀市指定史跡に指定されています。
菅原神社:上空画像
八脚門を簡単に説明した動画
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