伊勢市二見(歴史)概要: 二見町の名称の由来は倭姫命(垂仁天皇の第4皇女)が天照大神を祀る聖地を求めて当地を訪れた際、海岸からの景観があまりに素晴らしく、帰り際に2度振り返り名残惜しんだ事からと伝えられています。二見浦に浮かぶ夫婦岩は海中に沈む猿田彦神が宿るという興玉神石の鳥居の役目であると同時に岩の間から昇る朝日が日の大神(伊勢神宮=天照大神)として古くから信仰の対象になってきました。その為、伊勢神宮の参拝者は二見浦で禊を行い、現世の穢れを落としてから聖地に向かう事が通例となり街道沿いには数多くの宿所が設けられ繁栄しました。又、伊勢神宮と二見浦を結ぶ五十鈴川の河口に当たる為、浜は御塩浜と呼ばれ、御塩殿では伊勢神宮に供えられる堅塩が現在でも作り続けられています。
このように二見町は古から伊勢神宮と深い繋がりのある地域である一方で、天照大神から不信と怒りをかい高天原を追われた素盞鳴尊の伝説の地でもあります。伝承によると高天原から追われた素盞鳴尊は疲労困憊となり当地まで流れ着き、巨且の家に一宿を求めたが断られ、隣に住む弟、蘇民が快く受け入れました。素盞鳴尊は大変感謝し疫病の起こる年とその対象法を蘇民だけに教えました。その年、蘇民は素盞鳴尊に言われた通り「蘇民将来子孫家門」の札を戸口に貼ると巨且をはじめ多くの村人が流行病で病死するなか蘇民の家族は元気に過ごした。以来、村人達は素盞鳴尊を祀る松下社を創建し、戸口には注連縄と「蘇民将来子孫家門」の札を下げる風習が生まれたと伝えられています。
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