亀山市(歴史)概要: 亀山市の都市的始まりは文永元年(1264)、関実忠が当地を与えられ亀山城(古城)を築城し周辺に家臣達を住まわせたのが最初とされます。実忠は平資盛(平清盛の孫)の孫とされる人物で元久元年(1204)の三日平氏の乱鎮圧に功があり関谷領の地頭に任命され関氏を名乗るようになりました。以後、長きに渡り伊勢関氏による支配が続き、南北朝時代には南朝の有力武将である北畠顕家に従って鈴鹿、河曲の2郡を支配下としました。その後も中・北伊勢地方の有力国人領主として影響力を持ち、戦国時代には織田信長に従い地位を確立し天正18年(1590)には蒲生氏郷の属将として白河城(福島県白河市)に移っています。代わって亀山には岡本宗憲が2万3千石で入封し隣接する丘稜に城を築き近世的な城郭と城下町が計画されました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで宗憲は西軍に付き桑名城に籠城しますが、本戦で西軍が敗れた為自刃し岡本家は改易、代わって関氏の後裔である関一政が旧領を与えられ亀山藩を立藩します。慶長16年(1611)、一政が黒坂藩に移封になると松平忠明が入封し慶長20年(1615)に忠明が摂津大坂藩に移封されと一時廃藩となります。元和5年(1619)、三宅康信が挙母藩(愛知県豊田市)から1万石で入封し再び亀山藩を立藩、寛永13年(1636)に本多俊次が5万石で西尾藩(愛知県西尾市)から入封、さらに石川家、板倉家、松平(大給)家、板倉家と続き延享元年(1744)に石川総慶が備中松山城(岡山県高梁市)6万石で入封すると藩政が安定し以後、石川家が11代藩主を歴任に明治維新を迎えています。又、城下町には東海道が通り亀山宿として多くの旅人や商人達が行き来し本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒が設けられました。
|