湯の山温泉(歴史)概要: 湯の山温泉の開湯は諸説あり一説は養老2年(718)に当地で修行していた沙門浄薫和尚の霊夢に傷ついた鹿を射止めようとした狩人が何度弓を討ってもまったく当たらず、やがて鹿が御湯に浸かり傷を癒すと突然、薬師如来の化身が出現し霊湯の場所を告げたと伝えられています。又、一説には大昔、優しい樵が傷ついた鹿を狩人から守ったところ、鹿から霊泉のありかを教えられたと伝えられています。何れも温泉の発見には鹿が登場し、古くから「鹿の湯」と呼ばれてきました。中世は三岳寺の前身である寺院が山岳信仰の拠点となり多くの僧兵が山中に住んでいましたが永禄11年(1568)、織田信長の伊勢侵攻により家臣である滝川一益が焼討ちとしています。貞享3年(1686)に菰野藩3代藩主土方雄豊が湯の山温泉を復興し8軒の湯宿が開かれ、後に三岳寺となる薬師堂も再建されています。赤穂藩3代藩主浅野長矩の弟である浅野長広(大学)は菰野藩3代藩主土方雄豊の養女(雄豊の早世した嫡子土方豊高の娘)を正室として迎えていたことから大石内蔵助も度々湯の山温泉を訪れていたとされ、大石や涙橋など内蔵助の伝説が残っています。明治時代に入り一時衰退しますが四日市鉄道が開設すると関西の奥座敷として開発が進みます。文人墨客からも愛され志賀直哉は湯の山温泉で「菰野」を書き上げています。
湯の山温泉の泉質−アルカリ性ラジウム泉
湯の山温泉の効能−胃腸病、神経痛、外傷、美肌効果など
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