四日市市(歴史)概要: 四日市は古くから人々の生活に適した場所とされ、旧石器時代から縄文時代、弥生時代、古墳時代と遺跡が点在しています。又、交通の要衝である事からヤマトタケルノミコト伝説や壬申の乱では大海人皇子の軍事拠点の1つとなりました。室町時代に入ると藤原秀郷の後裔とされる赤堀氏の領地となり応永元年(1394)に赤堀景信が当地に入封、さらに赤堀氏の後裔である田原忠秀が文明2年(1470)に浜田城を築いています。忠秀の後は藤綱、元綱、重綱と4代に渡り城主を歴任し、その頃になると数多くの伊勢商人が城下を利用するようになり「四」の付く日には市が立つようなり四日市の地名が定着するようになります。元亀3年(1572)、織田信長の家臣滝川一益の急襲により浜田城は落城、田原氏も没落、四日市を拠点とする大きな勢力は失われ、江戸時代も天領なり代官所支配となります。東海道が開削整備されると宿場町(四日市宿・江戸日本橋から43番目)が設置され、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠98軒が設けられ、42番目の桑名宿を通らず直接41番目の宮宿へ渡れる「十里の渡し」があった為、重要視されました。特に江戸時代中期以降、民衆にも遠出の娯楽が広まると、熱田神宮の門前町である宮宿の繁栄や伊勢神宮の参拝者の利用などで四日市宿も大きく繁栄しました。
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