大王崎・歴史・観光・見所

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大王崎・歴史・観光・見所
大王崎概要: 大王崎は熊野灘と遠州灘に突き出た岬でこの地が分界とされます。沖合いは海路の難所として知られ「伊勢の神崎、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」と唄われ数多くの遭難事故や座礁事故が起きました。大正2年に51名の犠牲を出したサンマ漁船遭難事件、大正6年に巡洋艦「音羽」座礁事件と立て続け大事故が起こり昭和2年にようやく大王埼灯台が建設されています。又、海路の要衝でもあり正平18年(1363)頃に九鬼隆良が波切九鬼城を築くと、5代に渡り波切九鬼家の本拠地となり大きな影響力を持つようなります。波切九鬼家6代九鬼嘉隆は水軍を率いて織田信長、豊臣秀吉に好を通じ志摩地域を支配する3万5千石の大名となり文禄3年(1594)に鳥羽城を移ると波切九鬼城は廃城となります。九鬼氏が去った後も、波切港が避難港として機能し、周辺地域の行政、経済の中心地として賑わい漁民だけでなく多くの商家も見られました。天保元年(1830)、大王崎の沖合いで御用米を積んだ千石船が難破、浜に打ち上げられた荷物を住民達は知らずに持ち帰った為、幕府の役人が夜陰にまみれて調査したところ、住民達は役人を盗賊と間違えて殺害してしまします。再度幕府から覇権された役人は庄屋以下14名を捕縛し多くが死罪、獄死し波切騒動と呼ばれるようになりました。
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大王崎
大王崎:町並み 大王崎:町並み 大王崎:町並み 大王崎:町並み 大王崎:町並み
大王崎:町並み 大王崎:町並み 大王崎:町並み 大王崎:町並み 大王崎:町並み
大王崎:観光・見所
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