桑名市長島町(歴史)概要: 町内は古くから水害が多く、州や島と呼ばれた地形も度々変化し歴史的遺物も比較的に少ないと思われます。記録的には文治元年(1185)に長島荘園の記述が初見とされ寛元3年(1245)、藤原道家が当地に流されたのが記されています。道家は朝廷の実力者で源氏とも縁者であった事から3男の頼経を4代鎌倉将軍に就任させ、自らも太閤まで登り詰めました。しかし、その実力から朝廷や幕府に対して強権を乱用した為、信用が失墜し権力の座から排斥されました。室町時代に入ると北畠氏が伊勢国司となり長島町一帯も支配下に入りますが北勢地方には北勢四十八家と呼ばれる国人領主達が実質支配し当地では伊藤氏が勢力がありました。
文明14年(1482)には伊藤重晴が藤原道家の居館跡を改修して長島城を築き当地域を支配していましたが、戦国時代に入ると一向宗門徒の襲撃を受け一揆衆の一大拠点となりました。当時、台頭していた織田信長は一向宗弾圧と伊勢侵攻を強めていたことで、当地域の中心寺院である願証寺と対立し、凄惨な戦いが繰り広げられました。天正2年(1574)、信長が3度目の大攻勢をかけた事で長島城は落城、多くの一揆衆は惨殺され伊勢一帯は信長の支配下となりました。伊勢地方は信長の家臣滝川一益に与えられますが、本能寺の変で信長が倒れると羽柴秀吉と対立し元亀2年(1571)に長島城が落城すると没落します。
江戸時代に入ると菅沼定仍が2万石で入封し長島藩を立藩、その後は短期間で多くの藩主が入れ替わり元禄15年(1702)に増山正弥が2万石で入封すると藩政も安定し、以後8代に渡り増山家が藩主を世襲して明治維新を迎えています。
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