神戸城(鈴鹿市)概要: 神戸城は天文年間(1532〜55)、神戸具盛によって築かれたのが始まりとされます。それまでの居城である澤城は織田軍に攻められ落城、織田信長の3男信孝を養子に迎え入れる事で和睦が成立しています。
天正8年(1580)、信孝によって神戸城が拡張され本丸には5重6階の天守閣(文禄4年に解体され桑名城の神戸櫓として移築されたと伝えられています。)が聳えるなど壮大な城郭が完成しましたが、信長が本能寺の変で倒れると美濃国が与えられ岐阜城(岐阜県岐阜市)に入り、神戸城には信孝の家老である小島兵部が城主となります。
その後、羽柴秀吉と跡継ぎ争いで対立が顕著になり後見人だった柴田勝家が賎ヶ岳の戦いで敗れると、岐阜城も包囲され降伏後に信孝は自刃しています。
天正15年(1587)、刈谷城(愛知県刈谷市)から水野忠重が移り、文禄元年(1592)からは滝川雄利となりましたが、関が原の戦いで雄利は西軍に付いた為改易となり一柳直盛が5万石で入封し神戸藩を立藩します。
寛永13年(1636)、直盛が西条藩に移封になると一時廃藩になりましたが慶安3年(1651)に石川総長が1万石(後に2万石)で入封し再度立藩します。
享保17年(1732)、3代石川総茂が下館藩(茨城県筑西市)に移封になると西代藩から本多忠統が1万石(後に1万5千石)で入封、以後、本多家が7代藩主を世襲し明治維新を迎えています。
廃藩置県後に廃城となり多くの建物が破却、払い下げとなりましたが、現在でも大手門が顕正寺の山門として、二の丸太鼓櫓は蓮花寺の鐘楼として移築され、天守台を含む本丸一帯が三重県指定史跡に指定されています。
神戸城:上空画像
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