伊奈富神社(鈴鹿市)概要: 伊奈富神社は三重県鈴鹿市稲生西2丁目に鎮座している神社です。伊奈富神社の創建は不詳ですが伝承によると崇神天皇5年(紀元前93年)、神話の時代に神が降臨したとされる神路ケ岡に大宮・西宮・三大神の分霊を勧請し社殿を造営したのが始まりと伝えられています。
天平年間(729〜749年)、行基菩薩によって別当寺院である神宮寺が創建され天長年間(824〜834年)に弘法大師空海が当社を訪れた際は一夜にして七島池(日本最古の七島式庭園)を造ったと伝えられています。
古くから格式が高く、平安時代に編纂された三大実録では貞観7年(866)に従四位下に列した事が記載され、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社として記載されています。
歴代朝廷や為政者、領主から崇敬庇護され鎌倉将軍惟康親王と伊勢国司北畠家は広大な社領を寄進し元文年間(1736〜1740年)の社殿の造営の際は紀伊徳川家より造営料の寄進が行われています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、明治6年に郷社、明治33年に県社、明治39年に神螺幣畠料供進社に指定されています。
伊奈富神社は社宝が多く男神坐像(平安時代後期作、像高53cm、クス材、一木造、崇神天皇像とも)と木造扁額(表面「正一位稲生大明神」・裏面「文永一一季甲戌二月二三庚午書之 正三位藤原朝臣経朝」の行書・草書・楷書の3面)が国指定重要文化財に神像・能面・獅子頭・三足壺・棟札が三重県指定文化財、獅子舞が三重県指定無形民俗文化財、七島池とむらさきつつじが三重県指定名勝、勢州稲生村三社絵図が鈴鹿市指定文化財にそれぞれ指定されています。
伊奈富神社:上空画像
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