亀山城(亀山市)概要: 亀山城の築城は天正18年(1590)、岡本宗憲によって築かれました。隣接地には文永2年(1265)に関実忠によって築かれた亀山古城があり長く当地の中心地として軍事、行政の拠点となり戦国時代には度々攻防戦が繰り広げています。
宗憲によって築かれた亀山城は天守閣を備える近代的な平山城で本丸、二ノ丸、三ノ丸などを構えていました。
江戸時代に入り亀山藩が立藩すると藩主居館、藩庁が置かれ引き続き領内の中心として機能していましたが慶長20年(1615)、当時の藩主松平忠明が摂津大坂藩に移封されと廃藩となり四日市代官所預かりや津藩に組み込まれます。
元和5年(1619)、三宅康信が挙母藩(愛知県豊田市)から1万石で入封し再び亀山藩を立藩、寛永13年(1636)に本多俊次が5万石で西尾藩(愛知県西尾市)から入封すると亀山城は大改修され本丸、二ノ丸、東三ノ丸、西ノ丸、西出丸などを設け東西700m、南北500mの城郭が完成しました。
又、亀山は東海道の宿場町でもあり、徳川将軍家が上洛の際には宿所として利用した為、本丸には将軍用の御殿が設けられました。明治4年に廃藩置県により亀山藩が廃藩となり明治6年に廃城令により多くの建物が破却、払い下げとなり現在は多門櫓を残すのみとなっています。
主な遺構としては二ノ丸御殿の一部が遍照寺の玄関に利用、三重櫓の古材の一部が本宗寺の本堂の用材として利用されています。又、多門櫓は三重県に残る数少ない城郭建築の遺構として貴重なことから天守台などを含めて三重県指定史跡に指定されています。
亀山城:上空画像
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