菰野陣屋概要: 菰野陣屋は慶長6年(1601)、土方雄氏が菰野領1万2千石が与えられ築いたのが始まりとされます。この地は滝川一益が設けた代官所があり、それを改修した程度のものでしたが、雄氏が織田信長の孫である八重姫(織田信雄の娘)を迎えた際、急遽掘を設けて陣屋の体裁を整えたと伝えられています。
2代藩主土方雄高が本格的に陣屋を整備し、周辺に家臣を住まわせ四日市街道を引き込む事で陣屋町として形造られました。
3代雄豊が武家町を陣屋に取り込むように外側に柵や門を設けて一応の完成を見ました。陣屋内部には藩主の居館、藩庁、武器庫、兵糧蔵などがあり明治元年(1868)には12代藩主雄永が益子姫を迎えた際に2重隅櫓を設けています。
明治4年の廃藩置県により菰野藩が廃藩になると陣屋も廃され多くの建物は破却、払い下げとなり敷地は菰野小学校(元菰野小学校)となりました。現在は一部の土塁、石積、掘などが残り陣屋門が金蔵寺の山門として移築されています。
菰野陣屋:上空画像
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