金胎寺(鳥羽市)概要: 慈眼山金胎寺は三重県鳥羽市鳥羽3丁目に境内を構えている高野山真言宗の寺院です。金胎寺の創建は天長年間(824〜834年)、真言宗の開祖である弘法大師空海によって開かれたのが始まりと伝えられています。
当初は観音堂として鍋屋崎にありましたが天正年間(1573〜1592年)、九鬼嘉隆が鳥羽城を築いた際、城下町である現在地に移されました。
以来、歴代鳥羽城主、鳥羽藩主の祈願所として庇護され、朝鮮出兵の際には武運長久が祈願し、寛文5年(1665)には鳥羽城の二ノ丸の余材を賜り本堂を再建しています。
江戸時代は慈眼山観音院と称していましたが明治時代以降に金胎寺や潮満寺などが合併し慈眼山金胎寺に寺号を改めています。
境内には四国八十八ヶ寺の祠や「ほととぎす 消え行く先や 島ひとつ 芭蕉」、「志ら雲に 添うて散り行く 柳か那 壷遊」、「ひとすじに 迷はで雪の 小道かな 藤磨奇石」の句碑が建立されています。
伊勢西国三十三所観音巡礼第6番札所。御遍路「三重四国八十八ヶ所巡礼」第86番札所。山号:慈眼山。宗派:高野山真言宗。本尊:千手観世音菩薩。
金胎寺:上空画像
|