大王埼灯台(志摩市)概要: 大王崎の沖合いは海の難所として知られ「伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王がなけりゃよい」と詠われていました(交通の要衝でもあり戦国時代には九鬼氏の拠点である波切九鬼城が築かれていました)。
又、「大王の沖で難波しても船主は船頭にその罪を問わない」とも云われ、海難事故が多発しました。灯台建設は早くから計画されたものの、その都度実施には至らず、大正2年(1913)に51名の犠牲を出したサンマ漁船遭難事件、大正6年(1917)に巡洋艦「音羽」座礁事件と立て続け大事故が起こり昭和2年(1927)にようやく大王埼灯台が建設されました。
太平洋戦争では米軍機の標的の1つにもあり被弾し灯籠、レンズ、投器などに大きな被害を受けました。
大王埼灯台の構造は塔型コンクリート造、灯質は単閃白赤互光、実行光度は白光250,000 赤色47,000カンデラ、光達距離は白色18.5 赤色17.5海里、電球種別はメタルハライドランプ(70W)、地上からの高さは22.5m、水面からの高さ(灯火まで)45.53m。大王埼灯台は貴重な事から平成10年(1998)に「日本の灯台50選」に選定されています。
又、建造物の遺構としても評価が高く大王埼灯台と門柱及び塀が平成25年(2013)に「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から国登録有形文化財に登録されています。
大王埼灯台:上空画像
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