涙橋(湯の山温泉)概要: 涙橋は赤穂藩城代家老大石内蔵助と愛人である阿軽(小紫太夫)が分かれた場所と伝えられています。別れ際まで阿軽には真相が聞かされず、本意を知った阿軽は涙を流しながら内蔵助との別れを惜しんだ事から何時しか涙橋と呼ばれるようになったそうです。内蔵助は京都山科から東海道を使わず武平峠を越えたとされ、湯の山温泉で同志が集まるを待ち江戸に向かったそうです。湯の山温泉のある菰野藩は赤穂藩3代藩主浅野長矩の弟である浅野長広(大学)が藩主の養女を正室に迎えた縁のある土地で内蔵助も参勤交代の際に度々訪れ土地勘があったと思われます。
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