鍵屋ノ辻(伊賀市)概要: 日本三大仇討ちの一つとされる「鍵屋の辻の決闘」が行われた史跡です。寛永7年(1630)、岡山藩主池田忠雄が溺愛した渡辺源太夫に河合又五郎が恋心を持ち関係を追ったが拒絶され、源太夫を殺してしまいます。
又五郎はすぐさま脱藩し江戸にある旗本安藤次右衛門正珍に囲われ、池田家と旗本連中との対立に発展し幕府の裁定を仰ぐ事件となりました。忠雄が死去する際、又五郎を討つよう遺言した為、源太夫の兄である渡辺数馬が仇討する破目になり郡山藩剣術指南役荒木又右衛門に師事することになります。
寛永11年(1634)11月7日、数馬と又右衛門、門弟の岩本孫右衛門、川合武右衛門の4人が鍵屋の辻で又五郎一行を待ち伏せ、総勢11人の警護と決闘に及びました。決闘は5時間にも及び数馬が又五郎に傷を負わせ又右衛門がとどめを刺して集結、見事本懐を遂げました。
鍵屋ノ辻:上空画像
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