伊勢安国寺跡(四日市市)概要: 伊勢安国寺の創建は延暦19年(800)に五位鳥山西明寺として開かれたのが始まりと伝えられています。南北朝時代、夢窓疎石の発案により戦乱での戦死者の菩提を弔う計画をし、それに応じた足利尊氏、直義兄弟が全国の各国に安国寺を建立しました。伊勢国では西明寺が安国寺として定められ以後、室町幕府により庇護され寺運も隆盛します。最盛期には境内3000坪に13の塔頭を擁し寺領1000貫を所有して大きな影響力を持っていましたが元亀3年(1572)、滝川一益(織田信長の家臣)の伊勢侵攻の兵火によって多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失し衰退します。その後、領主になった織田信雄が父親である織田信長の菩提を弔う為に再興し、安土城にあった織田家菩提寺である総見寺(滋賀県近江八幡市安土町)にならい総見寺に寺号を改称しています。信雄が清洲城(愛知県清須市)に移ると総見寺も清洲城下に移り、慶長16年(1611)に新たに名古屋城(愛知県名古屋市)が築城されるとその城下に総見寺は移っています。伊勢安国寺跡は昭和16年に三重県指定史跡に指定されています。
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