尾高観音(引接寺)概要: 引接寺の創建は不詳ですが伝承によると孝元天皇の御代(紀元前214年〜紀元前158年)に生まれた女性が仏像を安置し信仰していたのが始まりと伝えられています。
その後、役小角が修行の為当地を訪れた際、霊地と悟り、御堂を建立し聖徳太子が彫り込んだという千手観音像を安置しました。
その後、信仰の広がりをみせ、桓武天皇から引接寺の勅額を賜るなど寺運が隆盛し、平安時代後期には源義家が戦勝祈願をし寛治年間(1087〜1094年)には堀河天皇より寺領千石を賜っています。
天正年間(1573〜1593年)に織田信長の伊勢侵攻の兵火により多くの堂宇が焼失し廃寺となりましたが文化12年(1815)に六角観音堂が再建されるなど信仰が続けられ明治時代初頭に発令された神仏分離令後は慈眼寺の奥の院となりました。
山号:尾高山。宗派:浄土宗。本尊:千手観音。伊勢西国三十三所観音霊場旧25番札所。
引接寺 尾高観音堂:上空画像
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