志で神社(四日市市)概要: 志で神社の創建は不詳ですが垂仁天皇の御代(紀元前29年〜70)に勧請されたのが始まりと伝えられています。壬申の乱(天武天皇元年:672年)の際、天武天皇が当地を訪れ伊勢神宮を遥拝したとされその時の班幣が「しで」の社号の由緒となっています。奈良時代に編纂された「万葉集」に記載された「後れにし人を偲はく四泥の崎 木綿取り垂でてさきくとぞ思ふ」の四泥の崎の四泥(しで)は当社のこととされ丹比屋主真人が天平12年(740)に当社を参拝した際、詠われた歌と云われています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社として記載されるなど古くから広く信仰されてきた神社で、中世当地を支配した赤堀氏が6代に渡り崇敬社として庇護され天正年間(1573〜92)には豊臣秀吉が戦勝祈願を行っています。江戸時代に入ると歴代桑名藩主から庇護され慶長5年(1600)には本多忠勝によって社領の寄進が行われました。明治6年に郷社、明治39年に神饌幣帛料供進社に指定、昭和6年に県社に列しました。境内背後は4世紀末期に築造されたと推定される前方後円墳で現在は後円部(直径30m・高さ6m:当時は周辺に掘があり陪塚が7基が)だけが残されています。
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