伊勢神宮外宮(豊受大神宮)

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創建年雄略天皇22年(478)
祭  神豊受大御神
格  式式内社(大)
文化財
神  事20年毎:式年遷宮・毎日:日別朝夕大御饌祭
場  所三重県伊勢市豊川町
備  考伊勢神宮外宮は延暦23年(804)に成立した「止由気宮儀式帳(伊勢神宮外宮社伝)」によると、雄略天皇21年(477)に天皇の霊夢に伊勢神宮内宮(三重県伊勢市宇治館町)の祭神である天照大御神の化身が立ち「自分1人で食事するのはどうもにも味気ない。丹波国に鎮座する等由気大神(豊受大御神)を呼び寄せ、一緒に食事がしたいものだ。」と告げたそうです。天皇は早速この神託に従い、翌年の雄略天皇22年(478)には社殿を造営し等由気大神(豊受大御神)を勧請して伊勢神宮外宮が創建されました。現在行われている「日別朝夕大御饌祭」は上記の故事を倣ったもので外宮の御饌殿で朝夕の神饌が調理され、内宮に運ばれる神事が1千5百年毎日続けられています。格式も高く平安時代に成立した延喜式神名帳には大社として記載されています。太平洋戦争の際には度々空襲により被害を受けています。

祭神である豊受大御神は「古事記」によると、伊弉冉尊の尿から生まれたとされる稚産霊の御子神で、丹波国で初めて稲作を伝えた事から食物や穀物を司る女神とされます。伊勢神宮外宮に勧請する前は丹波国に鎮座し、天の羽衣伝説で老夫婦により羽衣を隠され帰れなくなった天女こそが豊受大御神とされ、旧丹後国(現在の京都府の日本海側)に鎮座する、比沼麻奈為神社、奈具社、真名井神社(籠神社奥宮)は主祭神として信仰されています。又、当社では始源神である天之御中主神・国常立神と同神とされ、内宮の祭神である天照大御神よりも上位であるとしています。

正殿は神明造、茅葺、基礎部は掘立、高床式(弥生時代に高床式倉庫の形式を発展されたもの)、屋根端部には外削(垂直切)の千木、棟には鰹木(9本)、外壁は檜材素木造り、華美な装飾は無く「唯一神明造」とも言われています。正殿は絶対の聖域で、周囲には瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣が4重に結界が設けられています。内玉垣の内側には正殿の他、その背後に東宝殿(神明造り、茅葺、祭祀の際に勅使により奉納された幣帛が収納。)と西宝殿(神明造り、茅葺、前々回の式年遷宮で奉納された古神宝が収納。)が平行に配され、外玉垣の内側には四丈殿(奉幣の際に、幣帛点検の儀が執り行う。)、板垣の内側には御饌殿(内宮の神饌を調理する神事が執り行う。)と宿衛屋(神官が勤める場。)が配されています。

境内には伊勢神宮外宮(豊受大神宮)の別宮である多賀宮、土宮、風宮の3宮が鎮座しています。多賀宮は3宮の中で唯一「止由気宮儀式帳」と「延喜式神名帳」に記載されている古社で、祭神である豊受大御神荒御魂は豊受大御神と共に丹波国から勧請されたとされ、内宮、外宮に次ぐ格式を有し、式年遷宮も両宮と同じ年に行われています。土宮(祭神:大土乃御祖神)は伊勢神宮外宮(豊受大神宮)が創建する以前から祀られていた地主神とされ平安時代末期の大治3年(1128)から宮川治水、堤防の守護神として別宮に列格、3宮の中で唯一社殿が東側に向いています。 風宮(祭神:級長津彦命・級長戸辺命)は当初は田社という末社と同等の格式でしたが、鎌倉時代後期の元寇の際に戦勝祈願が行われると、突如として、神風が吹き日本が元(中国)からの侵略を免れた事から神意に感謝し別宮に昇格しました。

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