願証寺(桑名市長島町)概要: 願証寺の創建は文亀元年(15501)、蓮淳(蓮如の6男)によって開かれたのが始まりとされます。当地方の一向宗の最大の拠点として寺運も隆盛し寺領は10万石以上とも言われ周辺領主からは半独立状態でした。
元亀元年(1570)、織田信長の一向宗弾圧を発端に多くの門徒だけでなく周辺の豪族や信長によって稲葉城(岐阜城)を追われた斎藤龍興なども呼応し大一揆が発生しました。
周辺は複雑な水路が廻る天然の水城で、周囲には大小様々な砦や出城があった為、織田信興や滝川一益が敗れるなど織田軍は攻めあぐねていました。元亀2年(1571)、織田軍5万の軍勢が3方に分かれて長島に侵攻するものの大きな戦果を挙げず退却、退き様に一揆勢に襲撃され被害を出しています。
天正元年(1573)、信長は2度目の大攻勢をかけ周辺の砦などを落として侵攻したものの、またしても責めあぐね、前回同様に引き際に襲撃され大きな被害を出しています。
天正2年(1574)、信長は3度目の大攻勢ではほぼ全軍の7万とも8万とも云われる大軍を長島に集結させ、九鬼水軍での海上閉鎖や大鳥居城や篠橋城の兵糧攻め、屋長島城や中江城の火攻め、降伏者の惨殺など凄惨な戦を繰り広げ、長島一揆勢を一掃しています。
寺は大破していましたが天正11年(1583)に村井新町に再興され寛永11年(1634)には通寺として祐泉寺が創建、承応年間(1652〜1654年)に誓来寺に明治9年(1876)に願証寺に寺号を改称しています。
願証寺:上空画像
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